ラグビーワールドカップが開催されますね。
日本代表に選ばれた司令塔のスタンドオフで活躍が期待される李承信さん。
国籍は名前から想像できる通り韓国です。なぜ、国籍が韓国の李承信さんが日本代表になれるのはなぜでしょう?
今回は、その理由について詳しく解説していきます。
李承信(リ・スンシン)の国籍は韓国で3世!両親も韓国籍

2023年9月に開催される「ラグビーワールドカップ・フランス大会」のメンバーの李承信さんは、
2001年に兵庫県神戸市で生まれた韓国籍の在日3世である
web Sportiva(2023.7.6 https://news.yahoo.co.jp/articles/7eb82c67c0ac4b5a95fae239be6fa63f05d95665)
韓国生まれの祖父母が日本へ来て住み着いた家系で、父と母も日本で生まれ育っています。
父と母の国籍については、李承信さんが韓国籍ですので、同じく韓国です。
なぜ李承信(リ・スンシン)がラグビー日本代表になれた理由

それでは、李承信さんが日本代表になれた理由を見ていきましょう。
ラグビー代表資格に国籍は関係ない

ラグビーの代表資格に国籍は関係ありません。
基準を満たしていれば、どこの国の代表にもなれます。
そのラグビー代表資格がこちら。
(a) 当該国で出生している、または、
JAPAN RUGBY(2020.8.6 https://www.rugby-japan.jp/news/50516)
(b) 両親、祖父母の1人が当該国で出生している、または、
(c) プレーする時点の直前の60ヶ月間継続して当該国を居住地としていた。
これらの基準を1つでも満たしていればOK!
李承信さんは、本人も両親も当該国=日本で生まれ、いままで日本を居住地にして、3つある基準すべてを満たしています。
母の言葉を励みにラグビーに没頭

韓国代表ではなかった理由は、母の言葉がキッカケです。
母は、乳がんを患い、44歳の時に他界。李承信さんが小学6年生の時です。
当時、母が亡くなったことを受け入れることに時間がかかったそうですが、年齢的に考えても、当たり前ですよね。
そんな母が生前、繰り返し語っていたことがあります。
日本代表としてワールドカップに出てほしい
NHK sports(2023.7.13 https://www3.nhk.or.jp/sports/story/43931/)
幼少時代は調子に乗るタイプだった息子に母は、いつも厳しかったようですが、手のかかる末っ子が、とても可愛がっていたはずです。
そんな可愛い末っ子を見て、お母さんは、将来、日本代表になれると感じていたのですね。
母の言葉を励みにしてラグビーに没頭してきたことで、選出されたのでしょう。
李承信(リ・スンシン)は本名で韓国名!ハーフでもなく帰化してない

ここからは、名前や帰化しているかについて見ていきます。
李承信は本名で通名は美山信

李承信さんは本名で、漢字と読みからわかる通り韓国名です。
名前に入っている「信」は、「信頼される人になってほしい」というのが由来で、通名(通称名)は、「美山信」です。
幼少期からラグビースクールに通っていて、当時は通名を使っていました。
なぜ、通名が必要だったかというと、日本人も通うラグビースクールだったからです。
当時、チームメイトからは、
韓国からいつ来たの?
毎日新聞(2023.8.15 https://mainichi.jp/articles/20230812/k00/00m/050/096000c)
と聞かれたこともあったとか。
差別に繋がりやすいという理由などから、在日韓国人には通名を使う人が多くいるそうです。
現在、李承信さんが使っているのは韓国名。
そこには、韓国名で日本代表として活躍し、日本に在留する韓国人たちを勇気づけたいから。
自身が頑張れば在日の子供たちの未来がひらけると信じるなど、大きな想いを背負っています。
そんなハングリーさが評価されているのです。
在日韓国人への強い思いが、日本代表にさせてくれたともいえるのかもしれません。
帰化していない

帰化とは、外国人が国籍を取得してその国の人になること。
日本籍になっていない李承信さんは帰化していません。
父親も母親も韓国人で、ハーフではありません。
李承信さんは、在日韓国人の自分に誇りを持っていますので、今後も帰化するつもりはないと思われます。
李承信(リ・スンシン)の出身は神戸
出身地は兵庫県神戸市灘区で、神戸との結びつきが強いのです。
中学校まで神戸の朝鮮学校に通学

幼稚園から小学校、中学校まで地元の朝鮮学校に通っています。
小さい頃からスポーツ万能で、小・中学時代はラグビースクールに通いながらサッカー部にも所属していて、Jリーグの育成組織からスカウトを受けるほどだったそう。
兵庫県選抜チームのキャプテンも務め優勝し、多くの強豪高校から声がかかりました。
高校は大阪へ

高校は地元の強豪校ではなく、東大阪市に所在する大阪朝鮮中高級学校へ。
こちらの学校は、父と兄たちの母校です。
自宅から高校まで通っていた頃の起床時間は、なんと朝4時半!
ハングリー精神は、この頃からだったのですね。
大学中退~留学中止

高校卒業後は、帝京大学に進学しました。
そして、大学1年生の秋に開催されたラグビーワールドカップを観戦。
自分もこの舞台に出たいと強く思い、大学を退学し、ラグビーの強豪国のニュージーランドへの留学を決めます。
ところが、コロナで留学中止に。
行き場がなくなり、半年以上ラグビーができない状況に置かれます。
神戸でプロ入り

そこで声をかけたのが、神戸製鋼ラグビー部・コベルコ神戸スティーラーズのチームディレクターの福本正幸さん。
じつは、福本正幸さんは中学時代のラグビースクールのコーチでした。
事情を知った福本正幸さんが、チームのグラウンドを使わせてくれて、自主練を始めます。
当初はチームの練習後、ひとりで練習していましたが、徐々にクラブの選手たちと一緒にトレーニングするようになり、最終的にクラブと正式契約しプロ入り。
神戸でラグビーを始めた李承信さんは、神戸でラグビーのプロとして活動し、夢のワールドカップの選手になれました。
李承信(リ・スンシン)の国籍まとめ

李承信さんの国籍は韓国です。
ラグビー日本代表になれた理由は、ラグビーの代表資格には国籍が関係なく、基準を満たしているから。
そのほか、在日韓国人に誇りを持ちハングリーさが評価されたことも理由のひとつです。
どんなプレーを見せてくれるのか?ワールドカップでの活躍が楽しみですね。